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2008年10月7日(火)
タバコの迷惑
二日続けてタバコの煙の無神経な攻撃に晒されざるを得なかった。
実に不快、逃げ場のない拷問のような時間。
 
吸っている奴等は何の迷惑もかけていないと思ってるんだろうな。
タバコに火をつけては、吸うでもなく灰皿に置いてどっかにいく。
タバコは白い煙をあげて放置されたまま短くなっていく。
 
ああ、やっと燃え尽きるぞ、楽になるぞ、と思っていると遠くから近寄ってきて
また新しいタバコに火をつけてどこかへ行きやがる。
自分でタバコを吸っていたころにはよくやって居たはずの習慣に耐えられない。
 
タバコを吸う人間は対面していてもよくやるんだな。
吸わないくせにタバコに火をつけて灰皿のうえに置く。
吸うのは、火をつけけるときの一吸いだけ。
で、延々、具にもつかないことを話し始める。
根が無神経だから、相手の関心よりも自分の関心が優先した話が多い。
相手が何を嫌がっているか分からんのか!、と何度言いたくなったことか。
   
口臭のひどい人と同じクルマに乗るのと同じ不快さ。
たまごが腐ったような息で親しげに話しかけてこられるときの逃げ場のなさ。
相手は、まったく気がつかない生理の奥底を不快にさせる攻撃。
 
    
うちに帰って、そのときに身につけていたものすべて洗濯して全身を洗ってもまだ抜け切らないタバコのにおい。
タバコをかつて吸っていた人ほど、ある日突然タバコの煙に耐えられなくなるらしい。
 
タバコを吸うのなら。
自分の息と吐く煙だけではなく、手元に置いたタバコのケムリの行方にも神経を張りめぐらせるくらいの気持ちが欲しい。
「チェッ!」の二日間。
辛かった。
 
電車の中を禁煙にするだけじゃ、不十分。
喫煙者の口臭から身を守る術がないではないか。
今日は、二日間の後遺症で、電車の中で口臭の酷いオヤジに出会ったら耐えられない予感がする。
 
オヤジは、くさい。
生臭い。
 
嫌われるわけだ。
その上、ヤニのにおいをブレンドしてたら耐えられるわけがない。
オヤジの俺が臭いと感じるのだ。
異人種が嗅げば、滅茶苦茶臭いに決まってるじゃないか!
                                  (ゆう)
2008年10月6日(月)
昼飯
サラリーマンの昼飯代の話題が、よくニュースになります。
私のオフィスのある大手町、有楽町は東京の中でも昼食代が高くつく街です。
例えば新宿あたりと比べても2割くらい高い感じかな。
1000円で昼食を探すのは難しいかもしれない。 
高いな。
 
この街で働く労働者、ほとんどがホワイトカラーですが、この数と昼食供給量が明らかに不釣合いなのです。
私は別に誰かに管理されてる訳ではないから好きな時間にランチに出かけられるけど、
普通の人は通常12時から1時間が昼休みです。
この時間帯には店の前に長蛇の列が出来る。
列が出来てない店は、不味くて高い、酷い食い物しか出さない、という店です。
それ以外は、長蛇の列。
 
年代によってランチの選び方が明らかに違いますね、これは面白い。
オヤジは、殆んど魚系のお店に入ります。 
オヤジがずらっと並んでいたら、魚とゴハンが美味しい店。
あいつら、出てくる時は口に爪楊枝。
 
若い白人連中が、これに続いて魚系の店に多い。
箸の使い方なんか、いまどきの日本の若い女の子よりずっと上手いぞ、見事だ。
彼らは、出てくる時に爪楊枝は口にありません。
   
OLサン達が多いのは アジア料理系。
タイやベトナム、インド料理の店は圧倒的に若い女子労働者で占領されています。
いいスーツを着た高給取りのOL風情が多いですね。
アジア料理の並んでる場所は高い香水の匂いもします。
 
おしゃれして出かけてきた主婦達が多いのが、内装がおしゃれで割高なイタリアン系。
一度座ると2時間は動かないので、そういう店は我々は行きません。
順番待っててもなかなか回ってこないから。
それに、大概気取ってるだけで美味しくないもの。

実は。
私は今めちゃくちゃ気に入ってる店があるんですけど、これが、やや空いている。
もちろん、すっと入れるわけじゃないが、値段と質を考えれば込みまくって当たり前、っていうお店です。
何で「やや空き」なのかというと、お店に上がる時に「靴を脱げ」方式だからです。
 
これが、外人連中には極度に嫌われている要素だと思います。
同じ職場の仲間が連れ立って食事する時に外人が混ざっていると、その人に合わせて「靴脱ぎ方式」を避けるんですね。
お店の前に並んで待ってるとよく判る。
「あ、ラファエルは靴脱ぐの面倒なんだよね、この店は今日はパス」なんて言って通り過ぎてるから。
 
箸を使うのは練習できても ベッドに入る時とシャワーを浴びる時以外は靴を脱がない生活をしてきた人には
メシ食うのに靴を脱ぐ習慣にはなじめないと見たね。
だから、ラッキー!
 
でもね、これから冬になるとOLたちのブーツが、これが靴箱に入らないから入り口に溢れる。 
それが、結構、バツ、なんですね。
  
 
・・・・・、ってその話をお店の店長と思われるタイ人にしたら
「あああ、わたし、女の人の足の匂い、好きだけど」だって言いやがった。
お前の趣味を訊いたわけじゃないんだよぉ。
                                  (ゆう)
2008年10月4日(土)
季節
秋になると空の色が濃くなります。
空気が澄んで空が高くなる。
 
濃い青い空は地上の風景をコントラスト鮮やかによみがえらせます。
自然の風景だけではない、屋根の色も壁の色も実に美しく見える、これが秋のいいところだと思います。
食い物も美味しい、風も美味しい、景色も美味しい。
今年の夏は暑かったので余計に秋の魅力が鮮明に感じられます。
 
東京では山の色が変わっていくのを楽しむ事は出来ませんが
山肌の見える場所で暮らしていると山の表情が冬へ向けて変わっていくのが分かります。
それを毎日眺めていられのも贅沢な楽しみです。
 
豊かな表情を見せる風景の変化。
これこそが、日本の四季の持つもっとも素晴らしい魅力のひとつです。
茶色い砂漠にところどころ緑の見えるような風景の地では景色の移ろいを楽しむ事はできません。
・・・・・、などと考えていたら、都市の生活者というのはそういう楽しみを放棄して生きていることに今更ながら気がつきました。
 
都市に魅力がないと言う訳ではないのですが、人工物はアフリカでもヨーロッパでもアジアでも、同じ眺めを造り出します。
そこに、ロケーションの魅力が反映される事がない。
街の匂いや温度や湿気は、確かにその都市独特のものがある。
しかし、今、上海の高層ビルの写真を見せられてどこの都市のものか瞬時に答える自信はない。
古い建造物ならいざ知らず・・・。
 
近代の技術力は、世界中の風景を同一のものに変えるほどパワフルです。
古代ローマ帝国の街づくり。
帝国拡大と共に広がる領地の都市で建造物をローマと同一にする事には征服者としての明確な意図がありました。
近代、私達は「便利で高効率」なもののためだけに、その土地独特の魅力や季節の移ろう魅力に酔うのを諦めさせられています。
                                  (ゆう)
2008年10月2日(木)
足し算と引き算
バナナがありません。
スーパーに行くと黄色い棚を形成していた場所が、からっぽです。
バナナが払底してる、馬鹿な。
 
またぞろ、テレビのダイエット番組のせいらしい。
デブのクラッシック系のタレントが朝飯をバナナと水で過ごして痩せたんだとか、言う事らしい。
実に情け無い。
 
あんだけ太ってしまえば、現在の生活態度のどこかを変えればすぐ痩せるに決まってるじゃないか!
転んで腕の一本でも折れば、生活に変化が出て5キロくらいはすぐ落ちるぞ。
風邪を引いても、富士山に登っても痩せる。
あのタレントはそういう太り方をしています。
そこに、ご本人の意志の弱さ、楽ばかり求める生活習慣が出てしまっています。
それが、またぞろ「楽して」痩せようとする。
だめだわ、これでは。
 
体重の増減は、加減算です。
それ以外の要素はない。
採るカロリーが消費カロリーより多ければ太ります。
逆なら、痩せます。
それ以外の原則は断じて、ない。
 
ただし、美しく痩せる方法、これははかなり難しい。
凹凸のないただの病人のような身体になるのなら、医者の管理下必要最小限の栄養を点滴で採って寝てればいい。
あっという間に不健康な痩せ型人間の出来上がりです。
ま、医者も閑じゃないから付き合ってくれないと思うけど。
 
かっこいい痩せ方をするのなら現代のスポーツ科学ではトレーニングしかない、と言う事になってしまう。
効率のいいトレーニングと言うものはあるが、バナナでかっこいい身体になる、と言うような抜け道はないのですね。
  
あのタレントは痩せることに成功しても、下腹部のぼこっと出た、手足のやせ細った妙な体型を服装でカヴァーするのが精一杯の体にならざるを得ないでしょう。
 
楽して痩せる、これを健康なままやろうとすることに無理がある、と言う事になります。
私達の肉体は必ず衰えます。
衰えた肉体に強い意志や好奇心は湧いてこない。
肉体の衰えを気にしないで生きていられる時期は 30歳で終わるのです。
これが全ての人間の背負っている運命です。
そして、80歳を過ぎればやがて天国へ旅立つ日を迎える。
これが、私達の運命です。
 
もし、あなたの周りに美しく痩せている人が居たら。
他の人たちが美味しいものを食べて楽しく笑っている間に、その人は、汗を流して苦しいトレーニングに耐えていると思って間違いありません。
                                 (ゆう)
2008年9月30日(火)
ヒトの言う事を聞かない
・・・・・・、ので痛い目に遭ってます。
先週、トレーニング中に右足ふくらはぎに激痛、これは筋断裂の痛みだとすぐ分かりました。
走るのを止めてすぐアイシング、手はずは万端、30分位は歩けなかったんだけどすぐ歩行可能な状態になりました。
が、その後が、いけません。
  
3日ほど走るのを止めて痛みは完全に消えた。
トレーナーが、「今はまだ完全には治ってるわけではないから走るのは止めてください」って言ったのにも拘わらず
返した言葉が「自分の足の状態は自分が一番分かります」。
 
こーゆーことをやるからダメなんだね。
走り始めて10分ほどでブッチときた、天罰です。
で、今日は片脚引きずってます。  
 
似たような事を他人がしてると
「ヒトの言うことを聞けないのは老人とバカ」だと言い放つのに 自分がこのザマです。
ヒトの言う事を聞く力は大事なチカラですね。
 
自分の足の事すら自分では判らない。
まして、走り方とか健康維持の方法とか判るわけがない。
ヒトの言う事を聞かなくっちゃ。
 
脚に激痛が走るたびに思い返しています。
                                  (ゆう)
2008年9月23日(火)
あめりか
リーマン破綻のニュースからアメリカ経済の現状に急に興味を持った人は多いと思います。
ま、私も似たようなもんですけどね。
 
アメリカの自動車は、大量生産方式で一台あたりの製造コストを下げて一般に受け入れられるようになりました。
所謂、ベルトコンベア方式と呼ばれるもので・・・・、などというのは中学校の社会の教科書に書いてありました。
 
その、大量生産方式の自動車のハシリがT型フォードと呼ばれる奴です。
アメリカのモータリゼイション発達の起爆剤になりました。
さて、今年はT型フォードの生産開始から100年目、その節目の年にアメリカの自動車産業はえらいことになってます。
 
アメリカメーカーお得意のでかい自動車が売れない。
その上、急場を凌ぐ融資を受けようにも金融業界が瀕死になってしまってるし融資の条件はメチャ厳しい。
またぞろ出てきてるのは「公的資金」を当てにした政府筋からの融資です。
製造業にまで公的資金でカンフルを打つとなるとモラルハザードの歯止めが利かなくなる、自由経済は名前だけ、
成長の見込めない統制経済と同じジャン、と言うことになります。
 
しかし、アメリカビッグ3。
公的融資がなければ生き残るのはひとつもない、という専門家も居ます。
   
アメリカの自動車メーカーが破綻するとなると日本は大丈夫か、と心配になります。
トヨタ、ホンダをこれから先誰が買うのか。
あの国には新車を買う力のある人が居ない時代が来るのではないか、と言う獏とした不安を覚えます。
 
インドも中国も、いつまでもイケイケドンドンというわけには行かないでしょう。
現に、インドでは急に自動車が売れなくなってしまってる。
 
それにしても 絶対に失速してはいけないのはアメリカです。
この国だけは他の国家とは違う義務を負ってでかい顔をしてるのですから。
それが、このテイタラクでは困るのです。
 
経済のことは、専門家がやるだろうと思って生きてきましたが
なんだか急にやな感じ、の今日この頃です。
                                  (ゆう)
2008年9月21日(日)
雨と太陽
雨の多い土地で育つと 雨の降る音を聞くと心が落ち着くと言う、実は、私も雨の音を聞くと落ち着きます。
 
雨が嫌いだと思うのは天候に関係なく出かけなくてはならない用事があるときです。
雨は、そういう時はやっぱり嫌だな、と思います。
自宅から駅まで、これが嫌。
 
今は目的地の駅に着いて仕事場へ行くのに雨に濡れることはない、だから、これは助かります。
そう言う「雨よけ環境」に慣れてしまうと、どこかへ出かけていって駅からビルへ入るのに雨に濡れなければならないとなると、かなり嫌な感情が芽生えます。
本当に、人間と言うのは限りなく贅沢で生意気になります。

かなり前から、私の周りでは駅からオフィスへ濡れずにいけるかどうかがいいオフィスかどうかの基準だ、などと言っていました。
なんだかな。 
都心だけジャン、そんなへんてこな環境があるのは。
 
さて、太陽。
雨がまったく降らないのでは生活はできない。
ふんだんに太陽を浴びて水にも困らない温暖な地方があればいいですね、住んでみたい。
 ・・・・・・、などと考えているとハワイは条件ぴったりになる。
 
ま、物価とかイミグレーションとかを考えなければ、毎日海を見て暮らすにはベストロケーションではあります。
地中海沿岸もいいですね。
太陽は強烈ですが海の風は涼しい、欧州側では山地にから来る水がふんだんにある。
 
・・・・・、などと夢想している時間を切り裂くように東京では激しい雨が降ってきました。
さ、出かけなくちゃ。
もう少し穏やかな降り方が出来ないのか、この、今年の、雨!
                                  (ゆう)
2008年9月20日(土)
サボるということ
電器量販店とか文房具屋さん、ドラッグストアに用もなく行くのが好きなのです。

その規模がデカイほどいい。

外国に行くと、必ずでっかいスーパーに行きます。
なんと言ってもデカイ、と思うのはアメリカのスーパー、一日居ても飽きません。

何を買うでもない、店内を見ているだけで面白い、幸せです。
日本でも規模の大きな店舗が増えてきました。
私のようなスーパーマニアにはこれは実にうれしいことです。

都心にも、電気製品の量販店の大きなのがあちこちにあります。
テレビも欲しい、オーディオも欲しい、パソコンも欲しい、と思いながら歩いているとあっと言う間に時間が経ちます。
「あるもので暮らす」と決めた以上、何でもかんでも欲しいものを買うわけには行かないのですが・・・。

平日の昼間。
家電量販店を覗くと沢山のサラリーマンに会います。 
明らかに、仕事中の人たちです。
家電量販店は大人のためのおもちゃ売り場のようなものですから、時間をつぶすのには最高の場所です。
冷暖房完備だしね。

しかし、平日昼間のこの風景はどうも日本だけのもののように思うのです。
そんなに豊富な経験があるわけではないけども、労働に従事すべき時間内のサラリーマンがこんなに売り場に溢れている国を私は他に知りません。
路上に車を停めて昼寝をしている営業マンも居る。
映画館でも少なからず昼間からスーツ姿のサラリーマンが居る。
これが、「働いても働かなくても同じ待遇」が染み付いてしまったサラリーマンの典型行動のような気がします。

それでも民間は、まだ、競争原理が働く。
サボっていると出世しないぞ、同期に抜かれるぞ、後輩が上司になるぞ、という脅しが効く。
公務員は、いけません。
「働いても働かなくても同じ」が染み付いている。
もちろん、優秀で意識の高い人たちがほとんどですからそれでも積極的に働く人が多いんだけども、中にはろくでもないことをする奴が出てきます。

私達は、「やる気」を奪われるとあまりいい行動は起こしません。
金のためだけではない、自分の行動を支える何かを持って居なければ簡単に怠けてしまう。

自分の心の中に、自分を支えるモチベーションを持っている人は強い。
怠ける自分を責める前に自分の心の中を、そう言う気持ちで見つめなおしてみるといいかもしれないと思います。
モチベーションが見つからなかったら、見つける努力を始めればいい。
先日アフガニスタンでタリバンに殺された伊藤和也さんという人は そういう強さを持った人だと思います。

自分を支えるものを心の中に探す作業。
自分が何者なのかを見つける旅の始まりになると思います。
                                  (ゆう)
2008年9月18日(木)
倒産
企業が立ち行かなくなって潰れる、倒産です。
どんなに太い樹でも、倒れる。
寄らば大樹の陰、なんてのも当てにならぬ事があります。

まさか、アメリカの超優良証券会社が立ち行かなくなるとは誰も5年前には想像しなかったでしょう。
リーマンブラザーズで働く人たちには大きなショックだったと思います。
日本と違って「終身雇用」を当てにして入社しているわけではないとしても、夫々の生活設計というのもはあるでしょう。
エリート集団ではあるのですが、彼らの得意なフィールド自体がアメリカ中調子が悪い。
次の職場を同じレベルの収入を条件に探すのは簡単な事ではないと思います。

企業と言うのは、利潤を追求します。
企業の使命はそれだけではないのですが、利潤を追求する集団組織が企業、と言い切ることに余り大きな異論はないと思います。

利潤を追求するためには、投資をしたり調査をしたり開発研究をしたり、業種によって差はあるでしょうが、常に「リスク」を伴う活動を続けなければなりません。
そういう意味では、利潤追求活動はバクチ的要素を常に含んでいる。

さ、バクチに負けました。 
政府が助けてくれるのは当然ですよね?、というのじゃ筋が通らない。
日本の銀行は、この国の金融危機の時、当然のように我々の払った税金で助けてもらいました。
銀行で働く自分達の給与水準を下げずに、です。
何たるふてぶてしさ!
誰もアイツラに不良債権を抱えてくださいと頼んだワケではない。
金利の利ざやや運用資金を稼ぐために不良債権を抱え込んだのは自分達です。

アメリカ経済の健全性は、リーマンを甘やかさなかったことだと思っていたら、AIGは助けると言う。

経済は生き物ですから、命が奪われるような重篤な病気になるのは避けなきゃならん。
そのためにはアメリカだって頓服飲ませるぞ、ということですかね。

私達が、きっと日本のAIGの関連日本法人の給与を聞くと目玉が飛び出ますね。

恐ろしいほどの収入です。

その収入レベルを確保したうえで米国政府の資金融資を受けるとすれば、アメリカの世論が見過ごすわけがない、きっと。
アメリカ人は日本人ほどはおめでたくはないと思うのですが、さてどうでしょう。

2年の時限融資、AIGが簡単に立ち直る魔法はないと思うのですが・・・。

対岸の火事、と高みの見物が出来ないところが今回の辛いところです。
                                  (ゆう)
2008年9月16日(火)
年金特別便
全国民に送る、というから来るのは分かっていましたが、やっと来ました。
舛添要一、と言う人がごめんなさい、って冒頭に書いている。

この人は、偶然今担当大臣であるから、そう書いているのであって、この人に非がある部分はは1パーセントもない。
何だかそれを見ただけでおざなりな感じがしました。
 
年金とか金融とか保険とか税金とか・・・。
こんなに大切なことを、我々はほとんど義務教育では学習していないんですね。
仕組み自体を知らない人が多い。
これらは、言わば、生活の基本の基本です。
制度のことですから、時代によって変わる。
これはしょうがない。
だからと言って、学校できちんと教えない手はないでしょう。

国の予算も、仕組みからきちんと習っていなければいけないことです。
特別会計と一般会計、何だかワカラン、と言うのでは今議論されている「小さな政府」のあるべき姿がわからない。
役人は、これの知識を専門に持っていてしかも頭がいい連中ですから、よく判らない我々を騙すのは簡単です。

知識は、身を守る。
国民の知識は、国を守ります。
                                   (ゆう)

2008年9月9日(火)
日本の夏
真夏にかなりの間ボルネオに居た人が帰って来ました。
成田空港に着いて外に出た途端、ムッとする暑さに参ったらしい。
バンコクから帰ってきた友人も、東京の夏は世界一厳しいかもしれないと言っていました。
熱帯から帰国した人の感想がこれです、本当に東京の夏は地獄のように暑いのです。

日本でも、昔は日陰に入れば一息つけたような気がします。
頬を撫でて行く風は僅かばかりの清涼感を含んでいて、溜め息と共に体の熱が逃げて行ったものです。
ところが今の東京では日陰で涼やかな風を期待するなどとんでもない、地面からの照り返しがドライヤーの
熱風のような風を運んで来ます。

ところで、暑さに強い人弱い人と言う差はどれくらいあるのでしょうか。
人類出処は皆同じ、東アフリカで誕生し地球全域に移動して現在の分布になったと言うのはもはや定説です。
進化の過程でそれぞれの居住地域の暑さに適応するために身体の機能が個別に発達して行ったらしい。
典型的な例は肌の色で、赤道に近い地域では肌は黒く日光の照射量の少ない地域では肌は白くなったと言う話を読んだことがあります。
我々の黄色い肌は、その中間色ということになります。
でも、現代の交通網の発達は日本人をあっという間にハワイに運びインド人を北極へ運ぶ。
個別に夫々の地域の気候に適応して発達した機能に問題はないのだろうかと思います。

調べて見ると、短期間では大きな問題は現われないが長く暮らしていると不具合が一杯出てくるらしい。
例えば、白人が赤道直下で長く暮らしていると皮膚癌になりやすい、逆に暑い国の人間が北欧で暮らしていると
吹き出物などの体調変化に悩まされるといった具合です。

昔から同じ場所に暮らしている日本人も、日本に居るから大丈夫などとは言っていられない時代になってきました。
日本人が、もはや温帯モンスーン気候の地域で暮らしていける保証は無くなったと考えた方がいい、
この国土は明らかに亜熱帯になりました。
加えて、地面をアスファルトで覆いつくした都市部では熱反射が容赦なく襲い掛かります。
明らかに私たちが本来持っている適応能力でカバーできる範囲を超えてきています。

心も身体も。

不自然な強い刺激にさらされ続けていると、本来の健康な形が崩れて行きます。
自然な状態に、自分の心と身体を意図的に逃がしてやる努力が誰にも必要な事態になってきました。 
特に、心の状態の変化は自分で気がついたときには自身でコントロールできない状態になっている事が多いものです。
余裕を持って、「怠け者」にしてあげてください。
                                  (ゆう)
2008年9月2日(火)
首相退陣
朝から新幹線の移動だらけ。
新幹線降りて会議、新幹線、仕事、新幹線、会議。 
さすがに疲れた、仮眠だ、と思っていたら新幹線の中がどよめいて目が覚めました。
 
「福田が辞める?」と前の席の紳士が言ってる。
「どうしたんですか?」、訊くと、「今。電光掲示板のニュースで福田退陣と出たんですよ」。
 
時刻は22時30分。
    
新幹線の各車両の前にある、右から左へ文字が流れるあのニュースのことらしい。
ケータイでニュースサイトを探す人がほとんどの中、PC.を開いてる若い紳士が一人居てみんな自然にそこへ集まりました。
車両の中に居たのは10人くらい。
ニュースを若い紳士が読んでくれて、それを確認して各席に戻るまで5分くらい。
 
政治や経済に関心の高い人の集まる車両だったせいかも知れないけど、この国の政治への関心もそう低くない、
その反応のすばやさはなかなか素敵でした。
 
その素敵な場面、それはそれでいいのだが。
総理大臣が、2人続けて臨時国会前に「やぁめた!」と言うのは、いかにも情けない。
首相だよ、国の最高責任者だよ。
会期決めたばっかじゃないすか。
 
こんなんじゃ、我々も言いたい放題政治批判なんか、してる場合じゃないと思ってしまう。
俺たちと同じレベルじゃ、困るんだよねぇ、俺たちは無責任に政治批判してていいんだけど
責任ある男はそれじゃイカンでしょ。
  
アメリカの大統領はさすがにこういうことはやらんな、
政治のいい悪いは別だけど。
 
日本の「仕事投げ出し首相」は二人とも2世首相だ、と思ってたらブッシュ大統領も親子で大統領だし。
2世首相がわるいんじゃないわな。
 
日本の首相は、国の「危機感」が足らんのとちゃうか?と、東京をはるかに離れたホテルで勝手に吼えてみる。
未だ、身体が、新幹線の揺れから解放されてませんが。
                                  (ゆう)

2008年9月1日(月)
新幹線
新幹線の楽しみ。
新幹線の車内販売のアイスクリーム。
バニラと抹茶があります、値段は忘れたな。
ちと、街中で買うものより高かったです、350円だったかもしれません。
 
これが、うまい!
知る人ぞ知る、ヒット商品なのです。
作っているのは名古屋のメーカー、めいらく。
実は、昔々、外国のメーカーからアイスクリームの製造ノウハウを教えてもらって
「おいしくリッチな本物のアイスクリーム」を作り続けて来たけど販路はあえて一般には求めず
新幹線の車内販売だけが、現在は一般販売の方法として残っているのだとか。
私は、アメリカの世界的に有名なアイスクリームメーカーのものよりうまいと感じます。
  
・・・・・・・・、という話をさる有名な人に話していたら、「実は私も、あれのファンでして」と来た。
居るんですね、同じことを移動の楽しみにしている人が。
   
東京には、芥川製菓というチョコレートメーカーがあって、ここのチョコレートが実においしい。
ヨーロッパの、雅子様御用達のメーカーのものより、私は好きです。
 
食べ物に限らず、ブランドを確立していないが質は一流品を凌ぐ、と言うものに時々出くわします。
これを見つけた時がたまらなくうれしい。
「いいもんつくってんなぁ」、と嬉しくなるのです。
 
逆に、有名ブランドのくせにがっかりするような製品を世に送り出している場合もあります。
こういうブランドの評判が地に落ちるのに余り時間は掛かりませんから、世の中はうまく競争原理・淘汰機能が働いているものだと思います。
 
今週は新幹線で過ごす時間がとても長い。
睡眠を新幹線でとりながら過ごすことになります。
乗るたびにアイスクリームを食べると、少し食べ過ぎになるかもしれません。  
でも、我慢できないだろうなぁ、反射的に買っちゃうし。
                                  (ゆう)

2008年8月30日(土)
たばこ
喫煙習慣のある人には、どんどん辛い世の中になってきました。
タバコ天国と言われていた日本ですが、この10年の変化は劇的です。
いまや、テレビドラマや新作映画に喫煙シーンが出て来る事が珍しい、神経質すぎる感じもします。
 
アジアはアメリカと比べると喫煙には寛容ですが、それでも空港を出たらプカァ、というのはもう夢の夢。
国際空港と名のつく空港は軒並みビルの周辺まで禁煙です。

タバコ、吸ってますか?
私は、一日に50〜60本のヘビースモーカーでしたが、やめました。
何度かやめようと思うきっかけがあったのだけど、だらしなくやめられなかった期間が3年ぐらいありました。
が、結局、やめた。
だから、やめようと思いながらやめられない人の気持ちも、やめた人の気持ちもよく判ります。
 
ニコチンの依存性は肉体的なものより精神的なものの方がはるかに大きい。
これは、やめてみると分かります。
ずっと付き合って来た彼女に、突然「もう会わないからね!」と言われたときの禁断症状と似てる。
「本当に好きかどうか」よりも、「今まで毎日会って来たのに電話も出来ない」精神依存の断ち切りが辛いんですね。
 
ま、たいていの男女はそういう依存性の遮断が上手くできなくて結婚までしてしまう。
それはそれで、人間の営みとしては悪くない事です。
 
今まで毎日通っていた学校から「退学」処分を受ける、
今ままで通っていた会社から「免職」処分を受ける・・・。
今までの日常の中に組み込まれてきた要素が突然奪われると人間は相当焦ります。
 
タバコは、他から強制的に習慣を奪われるのではなく自分でやめるのだから、付き合っている彼女から「もう会わないからね」と言われるのとはワケが違うじゃないか、と思いますよね。
しかし、だからこそ、禁煙は失恋よりショックの度合いは少ないけども「心地いい習慣を断ち切る」のに強い意志が要るんです。
  
つまり、自分のタイプで性格もいい、仲良くて一緒にいるととても幸せだ、と思っている彼女と自分の意思で別れることを決めるくらいの難しさがあるのです。
勿論、相手はたかが乾燥葉っぱですから、相手の感情を考える必要がないしやめれば健康にもいいことは分かっている。
この点ははるかに禁煙のほうが楽なはずだけど、「心地いい習慣を断ち切る」ことの難しさは共通しています。
  
私達は一度手に入れた心地いい習慣は、自分からはなかなか断ち切れない。
他者が強制的に断ち切るとショックがとてつもなく大きい。
そういう生き物であると言う事を理解して生きていれば、失恋も禁煙もそう大事件ではないのです。
最後に問われるのは「意志」であるけども、その前に自分の精神構造を理解しておくとかなり楽に乗り切れます。
                                  (ゆう)

2008年8月27日(水)
お時間は?
新しいオフィスのすぐ近くにある 東京では有名なシュークリーム屋。
打ち合わせで外へ出かけると、ちょくちょくお土産にシュークリームを買って帰ることがあります。
 
シューアイス、夏だから中身がクリームの代わりにアイスクリームになってる奴を買うんだけど
その時の店員の対応が、私にとっては最悪なのです。
お金を払うときに、突然「お時間は?」と訊く。
私は時計を見て、「3時20分ですね」と答える。
すると、オネーちゃんは作り笑顔を崩して急に不愉快そうな顔になります。
 
最初は訳が分からなかった。
時間を訊くから、時間を教えてあげる、これは普通の反応です。
世界中、どこの人でも親切に時間を教えてあげると思う。
 
この販売員が「持ち帰るのに時間はどれくらい掛かるのか。それによってドライアイスをくれてやるからよ」と
言いたいということが分かるまで少し時間が要りました。
この販売員、つくり笑顔を崩したときの不愉快そうな表情が、とても客商売の人間とは思えない失礼さです。
  
あほか。
 
あなたがパリの街角で、慣れないフランス語でクッキーを買ったと思いなさい。
突然、店員に「時間は?」とフランス語で訊かれる。
あなたは絶対に時計を覗き込む。
当たり前です。
ところが、時間を教えてあげると店員が怒り出す。
そんな滅茶苦茶なことを、東京のど真ん中でこの店員はやっている。
 
私のオフィスは、丸の内にあります。
いろんな場所からさまざまな人が出かけてくる場所です。
外人もいる、田舎から出てきた人も居る。
そういう場所で、いかにも慣れた風に「お時間は?」と訊く神経が許せない。
 
ヒロタの販売マニュアルに「???」、百連発です。
                                  (ゆう)

2008年8月23日(土)
夕立
今年は、突然の激しい雨が多いような気がします。
余りの激しい雨のせいで人が死ぬようなニュースまで飛び込んできます。
下水道や市内を流れる川の水が、避難できないような瞬間的で暴力的な狂い方をする。
これは、最近の天候の異常性の問題ではなく都市設計の問題のような気がします。

一昨日。
何十年ぶりに、雨宿りをしました。
夕方、電車を降りたら激しい雷と人々に襲い掛かるような勢いの雨。
駅の中にコンビニがあるので買おうと思えば傘は買えるけど、買いませんでした。
駅の中にコーヒーショップも大きな本屋さんもあるけど、行きませんでした。

ひたすら、雨が小降りになるのを屋根下で待つ「雨宿り」。
 
雨には匂いがあるのを久しぶりに思い出しました。
雷鳴も、ガラスなど通さずに直に聞くと実に迫力がある。
人工のオーディオ装置ではこれは出ないな、なとど思って聞きほれてしまいました。

夕立は、昔からありました。
母親が家族のために傘を持って駅まで迎えに行く、と言う風景は当たり前でした。
夕立で濡れた靴が渇かないままあくる日履いて行く時の、あの妙な感じまで思い出しました。
 
便利で快適なものだけを追い求めると、自分の脳の奥にある「感覚」がどんどんなくなっていきます。
随分雨宿りをしてなかったせいで、危うく消し去られてしまうところだった感覚が夕べは沢山甦ってきたのです。

およそ45分間。
いい時間を過ごしました。
結局、雨が止むまで雨宿りを楽しんでいたのは私だけでした。
他の人はみな、「他の有効な時間の使い方」をご存知だったようです。
                                  (ゆう)

2008年8月20日(水)
北京
30年前。
北京で夏を過ごしました。
一ヶ月ほどの滞在、かなりハードな仕事でしたが北京は楽しかった。
オリンピックで天安門広場や故宮を見るとあの時の北京の粉臭い匂いを思い出します。

30年前の北京は、毎日テレビで映し出されているような現代的な風景はどこにもありませんでした。
トイレは地面に穴を掘っただけのもの、行きかう車はトラックばかりでしかも夜になってもライトを点けない。
「なんでだ?」と訊くと「中国には電気がない」と言う。
笑うと失礼な気がして黙り込んでしまったものです。

我々についてくれた通訳は北京大学で日本語を学ぶエリートたちでした。
日本から行ったチームが10人ほど、30人ほどの通訳を含め、100人ほどの中国人チームと一緒になってプロジェクトを立ち上げていました。
1週間ほど経つと仲良くなる、当然です、みな同じ年回りの若者たちです。

何かの機会に、日本人スタッフが全員自分の自動車を持っていることが分かった時の彼らの目の輝きは今でも忘れられません。
勿論、軽自動車とか中古とか、そういうクルマです、当時我々が乗っていたのは。

「先生たちはみんな免許を持っているのか」 (彼らは日本人技術スタッフを先生と呼んでいました)
「はい」
そこで、中国スタッフの目が丸くなる。

「なら、どうして運転手の仕事をしないのか」
「自動車はいくらするのか」
「自分の車を持っているのは日本に何人居るのか」
もう、いちいち答えていたら仕事にならん、と思ったものです。

一ヶ月たって仕事も無事に終わり、帰国となった夜。
我々は中国人スタッフと初めて一緒に食事をしました。
それまでは 決して我々と一緒のテーブルに着く事はなかったのに。
最後の夜だけは、党の許可がでたらしい。

その時から、気配は、ありました。
半分、目が、ウルウルしてる。
ウルウルしながら、有難う、しぇしぇ、の食事会でした。

あくる日。
通訳をしてくれた集団は北京空港まで送ってくれました。
泣くわ泣くわ、あたり憚るものなし、号泣です。
30人ほどの男女が、中国人同士で抱き合って泣きじゃくっている。

グチャグチャの顔で今度は我々に抱きついて泣きじゃくる。
「わたしは、先生の国とアメリカをこの目で見てから死にたいのです」等と言ってオイオイ泣くのです。
もう、党の監視なんかお構いなし状態。

最初は、苦手だなぁ、こういう別れは、などと思っていたのですが、飛行機に乗り込むときには日本人スタッフの目も皆真っ赤でした。

今頃、彼らは要職に付いて今回のオリンピックの重要な役目を果たしているのではないかと思いを馳せています。
中国は、変わることを恐れない、底知れぬ能力を持っています。
                                  (ゆう)
2008年8月19日(火)
オリンピック
日本、頑張ってます。
一人ひとりが、素晴らしい。
勿論、日本以外の国の選手も素晴らしい。
人間は、実に素晴らしいと思います。
スーパースローで再生される選手の表情や筋肉の躍動を見ているとワクワクします。

今年は、日本に居て日本選手の活躍を生で堪能しています。
4年前のアテネ大会のときは 仕事でギリシャに居ました。
テレビはオリンピック一色です。 これは、日本と同じ。
繰り返し放送されるのはギリシャの選手の活躍シーン、日本の選手なんか全然映らない。
ネットで日本の活躍を確認するしかありませんでした。
仕事の合間を縫って「なまニッポン」を見に行きましたが、柔道や女子バレー、それに野球もガラガラでした。
チケットが、当日会場に行っても簡単に手に入る。
それと対照的なのは陸上・体操・ビーチバレー、アテネ市内のチケットセンターに6時間並んでもダメでした。
「なんでビーチバレーが!」と思いましたが、ま、そんなもんでしょう、人間半分は男ですから。
  
8年前のシドニー大会のときは、オリンピックの前半アメリカに居ました。
途中帰国。
ネット環境がどのホテルでも整うなどと言う時代ではなかった上に、自分でブラウジングするような知識もなかったので、日本選手の活躍は知る由も無かった。
だって、アメリカ選手の活躍シーンしかテレビでやらないんだもん。
日本に帰ったら高橋尚子の優勝シーンを繰り返しやってました。
 
昨日、私のオフィスの仲間がイタリアから帰って来て
「オリンピックは日本に居ないと分からないなぁ」と言っていました。
イタリアではイタリア人選手しかフォローしてないんだぞ、と。
世界中、テレビの前で自分の国の選手の活躍シーンを見せられているんですね。 
それが、なんだか、可笑しい。
 
さて。
スポーツに限らず、自分で身をもって経験してみないと鑑賞の面白みが分からないこと沢山があります。
自分でギターを弾いてる人はクラプトンの凄さが体でも分かる、心でも分かる。
自分で走ってみると時速20キロ近い速さで40キロを走るマラソン選手の凄さが分かる。 
自分でテニスをやっていれば、自分でバトミントンをやっていれば、自分でレスリングをやっていれば・・・。
 
人間、有り余るほどの時間があるわけではないから、全部を経験していくわけには行きません。
だから、ある程度の経験のあとはイメージで感じていくよりしょうがない。
しかし、経験が余りに乏しいとそのイメージが湧いて来ないのです。
 
オリンピックを見るたびに、改めて自分の肉体で刻んでいく経験とそれの届かない世界を感じる。
イメージの価値を想います。
   
頭だけでは理解できないものが 沢山あります。
思いを馳せること、イメージすること。
こんなに豊かな世界を持てるのは 困難な壁の存在に立ち竦んできた惨めな経験があるからだと思います。

                            (ゆう)
2008年8月12日(火)
有るもので暮らす

着ても着ても、一生かかっても着切れないほどの「着る物」に囲まれて生きていませんか。
私は一生履かない靴・サンダルや、一生着ない「着る物」に囲まれているような気がして、今月から「今、有るもので暮らす」という目標を立てました。

ビニール傘も買わない。
気持ちよさそうなサンダルも買わない。
新しいケータイも買わない。
腕時計も買わない。
だって、いっぱいあるんだもん。

そう決めてみると、買うべきものなんか食料品くらいなものだと気がつきます。
欲しいものはたくさんあったけど、「有るもので暮らす」ことを決めてみたら、どーでもよくなってきました。

江戸時代にペットボトルがあったら、庶民の生活は変わっていたでしょうね。
つい100年ほど前まで、水を手軽に運べる容器は、焼き物、後はせいぜい瓢箪とか竹筒とか・・・。
木製の樽や桶や枡は簡便な持ち歩き方法には適さない。
焼き物は重いし、ぶつければ割れる。
瓢箪は洗浄が難しい。

この国の2006年のペットボトルの販売量は約54万トン。
500ミリリットルボトルに換算すると、年間1人あたり約160本を使う計算です。

これは1年間に使い捨てる割り箸(ばし)の本数に匹敵する数で、あんな軽くて便利で頑丈なものがどんどんゴミになっている。
アフリカやアジアの貧しい地域で未だに生活用水を険しい山道を通って毎朝運んでいるところはたくさんあります。
これがほとんど子供の役目。
衛生上の問題があるにしても、ペットボトルは少し加工すればせいぜい水筒の代わりにはならないかと思います。

エコ、を提唱しているつもりはないのですが、資本主義の「麻薬」を打たれ続けて、私たちの生活はいかにもおかしくなっているのではないかと思います。
 
今有るもので暮らす。
クーラーも使わない、と決めたら
部屋の温度は36,4度になっています。
まだ、午前9時前だというのに。
 
テレビなんかハナから見るつもりは毛頭ないけど
パソコンの発熱が、恨めしい8月です。
                                  (ゆう)

2008年7月30日(水)
お金

お金が欲しい、とにかく自由になるお金が欲しい、と思っている人は大勢います。
お金なんか見るのも嫌だという人よりは、少なくとも断然多い。

人間はお金のために生きている訳ではない、というのもまた真実です。

そうは言ってもねぇ。
「お金はないよりあった方がいいでしょ?」という遠慮がちな表現をする人も含めて、
金が欲しい、なんぼでも欲しい、というのが凡人の考えるところです。

ところで、「なんぼでも欲しい」私たちが考えるお金ですが、貧乏人とお金持ちとどちらが心配事が少ないか、ということを考えたことがありますか。
「今の日本で、不用意に5,000万円以上の金を持ったら、大抵は騙されるか、命を狙われるか、被害にあることは目に見えている」と言い切る友人がいます。
悪い奴は、金を持つとどこからともなく必ず寄ってくるらしい。
どんなに用心しても必ず奪われる、と言うのです。

そんなに犯罪の匂いがする話ではなくても、少し金が手に入ると、さらに増やそうとして、うまい投資話などで騙される人はうじゃうじゃいますよね。
そういうことも含めると確かに「奪われる」というのは正しい。
毎日、奪われないように神経をピリピリさせて生きていても、結局やられてしまう。
なぁんだ、結構金持ちってソンだよな、という気にさせられる話です。

お金持ちは貧乏人の倍くらいは気苦労を覚悟しなくちゃならないとすれば、お金をむやみに欲しがるというのも考え物かもしれないですね。
少なくとも貧乏人は金持ちになったときのことを夢見ることができますが、金持ちは貧乏人になったときのことを想像するだけで気絶するかもしれません。
どっちが幸せなのか、ゆっくり考えてみるのも面白いとは思いませんか。
                                 (ゆう)

2008年7月21日(月)
しあわせ

自分だけがついてない、と思うことがあります。
自分だけが不幸だ、と思うことがあります。

人間というものは実に罪深いもので、自分が多少の幸せを手に入れただけでは決して満足しないものです。
多少の幸せを手に入れれば、さらに大きな幸せを手に入れたくなります。
他人が羨ましい、何とかあの人よりも幸せになりたい・・・、こういうことをずっと考えている。

過去に於いて「しあわせ」だと思った瞬間があったのなら、よく思い出してください。
幸せだと思った瞬間、あなたの心には何が満ち溢れていたのでしょうか。
満足感、安心感、自分自身を静かに見つめていられる充実した時間の流れ。
そして何より、自分を誰とも比較しないでいられる心の在り処、だったのではないでしょうか

「誰とも比較しないでいられる心の在り処」をいつも思い出せれば、幸せは案外そこいらに転がっているものです。
「自分の幸せだけでは満足できない、周りの誰かが不幸でなければ人間は満足しない」という人がいます。
が、人間はそれほど酷いものではないと思います。

そういう幸せ感しか持てない人には、是非わかっていただきたい。
誰とも自分を比べる必要のない心の在り処が、必ず誰にもあるのです。
それを見つけるまでの道のりの長さのために、私たちは命を使い果たしてしまうこともあるかもしれませんが。
                                  (ゆう)

2008年7月18日(金)
山本モナさん

彼女がマスコミで働く人間だからでしょうか、レギュラー番組を持つフジテレビや文化放送にたくさん「苦情」が寄せられているというニュースを目にします。
今回のスキャンダルの相手であるジャイアンツの二岡選手も、一軍昇格が遅れたり、マスコミからのパッシングに遭ったりしています。
色々感じ方があると思いますが、当事者である二人は今頃どんな心持でいるのかということが、私には気になります。

「マスコミで活躍してるんだから、どんなパッシングに遭ったとしてもしょうがない」という人もいますが、パッシングを受ける方は、職業的に活躍していようが、生身の人間であることに変わりはありません。
「マスコミで露出してるのは虚像で、本当の自分は別の空間に取ってあるのよ」くらいの割り切りができていればいいのですが、そうじゃなければ、山本モナという人の心は相当痛めつけられているはずです。

心が痛めつけられて、崩れてしまう状況にある人のことに、思いを巡らす人が余りにもいなさ過ぎることは悲しいことです。

「まさか、あの人が!」と思われるような人が、徹底的に傷ついて、いつもの自分を失ってしまっている悲惨な姿を、私たちは見てきました。

どこで活動していようが、生身の人間であることは皆同じ。
傷ついて、耐え切れなくなれば心の形が歪み始めます。
その辛さは誰にもわかりません。

どんな人にも、自分本来の心の自分らしい毎日を送ってほしいと願うばかりです。
                                  (ゆう)

2008年7月13日(日)
失敗の回数

子供の頃。
逆上がりが初めてできた時のことを、覚えてますか。

目の前で友達がどんどん逆上がりに成功していく、あの時の焦る心。
何度やっても、もう少しのところで地面に落ちていく自分の両足。

でも、大きくなってからのチャレンジと根本的に違うのは、目の前に厳然とした成功例が沢山あったことです。
極端な言い方をすれば、逆上がりのチャレンジは、友達のやってることと正確に同じことをすれば必ずうまくいくチャレンジだったのです。
おまけに友達も先生も一緒になって自分を応援してくれたのです。

もちろん、子供ながら筋力の差異は各人あるでしょうし、運動神経の発達度合いも違うかもしれない。
でも、同じことを繰り返しているうちにコツが掴めて、成功者と自分とのやり方の違いもわかってきます。
修正を繰り返しているうちに、ほんの少しの首の角度の修正で鉄棒の上に上がれたりするものです。

初めての逆上がり、嬉しいですよね。
一度うまくいくと、何度でも上手くいく。
それまで失敗してきた自分が嘘のようでした。

大人になるにつれて、「逆上がり」的なチャレンジができなくなります。
周りがみんな自分を応援してくれるなんてことは、あり得ない。
日が暮れるまで何時までも練習できた、あの環境は望むべくもない。

社会に出れば、自分の失敗を望んでいる敵も出てくるし、友達の助けなんて「あれば奇跡」です。
そういう嫌な状況の中でも、チャレンジはしていかなければならないことがあります。
しかし、嫌な状況は自分だけを取り囲んでいる訳ではないこともまた、事実です。

チャレンジして失敗したら、方法を変えて、再チャレンジする。
もし最初成功しなかったら、試みよ、再び試みよ。

試みよ、再び、再び、試みよ。

私たちは成功を願い、上手くいくことだけに価値をがあると思いがちです。
失敗することに意味がある訳ではないかもしれないが、再び試みることには大きな意味があります。

大人になれば、成功例の見えないチャレンジもしなければなりません。
暗闇の中に突入していくような、成功するかしないか、神のみぞ知るというようなチャレンジもあります。

許される限りの回数を、再チャレンジに当てる生き方。
きっと自分らしい道が見えてきます。

                                   (ゆう)

2008年7月11日(金)
あした

政治の世界では「一寸先は闇だ」と言うそうです。
先のことはわからない。
別に政治の世界でなくても、明日のことなど誰もわかる訳がない。

「だから、今努力したり勉強したりしても意味がない。今日を楽しく遊んで暮らす方がいいじゃないか」と言う人がいます。
でも、恐ろしいことにどんな明日でも明日は必ずやってきます。

明日と言うものほど、不確かなものはない。
「だから、明日のために努力をしない」と言うのは、一見なるほどと思わせるのですが、確実にやってくる「明日」のことを考えた時には、簡単に破綻する屁理屈です。

地球が爆発して、何もかもが木っ端微塵になるのならまだしも、幸せな明日にしろ辛い明日にしろ、明日は必ずやって来る。
明日も、自分らしく自分の人生を生きるために、今やっておかなければならないことが必ずあります。
それに気づくのがなかなか難しい。

人におだてられて自分を見失ったり、脅されてびくびくしたりして明日を生きるのはゴメンです。
明日は当てになんかならない。
だから、今日を、今を、大切にしておくことです。
                            (ゆう)

2008年7月5日(土)
経験することの大切さ

「悲しみ」の意味を知ってますか。
小学校3年生にでもなれば、先生が満足するような通り一遍の答えを出すことはできます。
しかし、小学生が本当の悲しみの意味を知っているのかというと、これは多少疑問です。

「恋」の意味を知ってますか。
「失恋」の意味を知ってますか。
「嫉妬」の意味を知ってますか。
「絶望」の意味を知ってますか。
「人生」の意味を知ってますか。
「生きる」ということの意味を知ってますか。

私たちは、頭だけで知識を得て、それだけでわかったような気になって生きていないでしょうか。
恋する苦しさに夜も眠れない思いをすることなど予想もできないうちから、平気で「知ってるよ!」と答えてきた不用意な自分が、今更ながら恥ずかしい気分になります。

学習するだけでは、言葉で学ぶだけでは絶対にわからないことに、生きていくと沢山ぶち当たります。
学習しただけでは、そうして得た知識が全く役に立たないことに愕然として、私たちは立ちすくみます。
経験の伴わない学習が、なんと空虚なものであるか思い知ることになります。
学問や学習などなくてもいい、物事によっては経験することの方が遥かに重要だということが沢山あります。

私たちは、それらに遭遇したときには、立ちすくみ、思い悩み、地べたを這うようにして前に進むしかないのです。
前に進む力さえ失ってしまったときには、じっと微かな明かりを網膜に感じるまで自分の呼吸だけを数える日々もあるのです。
                                  (ゆう)

2008年7月2日(水)
失敗と挫折

人間は、誰でも手痛い失敗をします。
「失敗慣れ」をする必要はありませんが、失敗を知らないで人生を送るよりも知っていた方がよっぽどいいのではないでしょうか。
「大人になるまで挫折を知らないと、人間としての耐性がなくて・・・」などとよく言います。
これは、大人になってから初めて挫折すると立ち直れないほどの大きなダメージを受けるから、子供の頃から少しずつ挫折を味わっていた方が結局はいい結果になる、という意味で使われます。
もちろん、子供の頃の挫折にも、大人になってからの失敗にも夫々、人を大きく成長させる力があります。

そして実は、そういうこと以外にも「失敗」や「挫折」には素晴らしい意味があります。
「失敗」「挫折」の落ち込んだ状態でないと、人間にはできないことが沢山あるのです。
例えば、心を自分の内側へ向けてみる作業は、有頂天になっている時にはできるものではありません。
親の言葉を思い出してみる、もう一度自分を支える本を探してみる、いずれもイケイケドンドンの時にはなかなか気持ちが向くものではありません。

フランソワーズ・サガンは18歳の時に大学受験に失敗しています。
そして、失意の中で書き上げた小説が、あの「悲しみよこんにちは」です。
世界的なベストセラーは、難関大学を突破し、鼻歌交じりで自分の将来を夢見ている少女の心からは決して生まれることのない作品だったのです。
彼女の18歳の挫折・失敗がなければ、その後のサルトルとの出会いもなかったかも知れません。

真っ只中にいると、とても辛くて耐えることのできないように感じる心の状態でも、「悲しみを知っている今しかできないこと」があることもまた、事実です。
「今」が決して意味のない時間ではないことを、忘れてはならないと思います。
                                   (ゆう)

2008年6月28日(土)
諦めない力

ひとつのことを為すにあたり、何事においても「ああ、こんなことをやっていてもダメだ、止めよう」と思う瞬間があります。
諦めよう、という誘惑は色んな形で私たちを襲ってきます。
だって、努力を続けていくことは楽なことじゃありませんから。

「やり方が違うんじゃないだろうか」
「こんなことで時間を浪費しても意味がないんじゃないだろうか」
「誰もこんな無駄な努力を認めてくれるはずがない」
「結果がついてこなければ意味がない」

物事を始めて、それを途中で放り投げる時、私たちは必ずもっともらしい理由を見つけます。
もっと効率のいい楽な方法があるんじゃないだろうか、という考えが頭をよぎった時にはもう、そのもっともらしい理由を見つけていることが多いものです。

「やり方が違うんじゃないだろうか」と思ったら、今までのやり方を検証して「先へ」進めばよろしい。
「時間の浪費」だと思ったら、別の「内容の濃い方法を見つけてから」そちらに力を傾ければよろしい。
私たちは「他人の評価を得るために努力をしているわけじゃない」し、ここで諦めては結果が出る可能性は「ゼロ」になります。

冷静に考えれば当たり前のことですが、人間が怠ける理由を自分に対して考える時には物凄い能力を発揮します。
気持ちはもう、怠けたい一心ですから。
「止めてしまう」ことは、それまでの努力も、今後の可能性も両方瞬時に放棄することに他なりません。

少しずつでも、1ミリでも前に進む。
これがどれほど大事なことかは、物事を成就した人の足跡を見てみればよくわかります。
「継続こそが力」です。
「井戸を掘るなら水の湧くまで掘れ」という言葉もあります。

努力をしていく気力を持っていることが喜びであることを、いつも思い出していたいものです。
                                   (ゆう)

2008年6月25日(水)
私たちは、皆泣きながら生まれてきた

笑いながらこの世に生まれてくる赤ちゃんはいません。
私たちは皆、まるでこの世が不幸に溢れているのを知っていたかのように、泣きながら生まれて来ました。

泣きながら生まれて来たのですが、少しずつ成長して、いつしか母親に微笑み返し、さらに自分を覗き込む周りの大人を幸せにすることもできていた時期が確かにあったのです。
今のあなたはどうでしょうか。
周りの人たちを幸せにする笑顔が、残っているでしょうか。

赤ちゃんは、顔全部を泣き顔にしてあらん限りのエネルギーを費やして泣きます。
顔全部を笑い顔にして、手足を揺すぶって笑います。

周りの大人は、赤ちゃんが泣いても笑っても放っておけない。
駆け寄ってあやしたり、一緒になって笑ったりします。
それは、赤ちゃんがかわいいというだけではなく、感情の共有が確かにそこにあるからです。
あなたも、赤ちゃんの笑顔に引き込まれて自分も笑顔になってしまったことがきっとあると思います。

ところが、
感情を全身で表すことを私たちは少しずつ忘れてしまいます。
感じる悲しみや喜びの量は減っていくわけではないのに、無表情な大人になっていきます。
そして
不平や文句だけが多くなっていく。

強いストレスや連続するストレスは、人から表情だけではなく心の動きまでも奪ってしまいます。
自分が今まで感じて来た喜びや感動すらも、自分自身に響かなくなっていくのがとても怖い。
そうならないためには、自分の心を自由にしてあげる作業を時々してやるしかない。
このストレスの溢れた現代社会からドロップアウトして、原始時代に生きることはできないのですから。

感情の正常な動きを忘れてしまった自分を発見したら、手遅れにならないうちに心の旅に出かけましょう。
失望や絶望と付き合いながら不機嫌な自分を生きていくのは、心の旅の方法を知らない人たちです。
生まれてきた以上、すべての人たちに充実した情感豊かな人生を生きて行って欲しいと思います。

私たちは、皆泣きながら生まれてきました。
そして笑顔を覚え、悲しみを乗り越えて人生を重ねていきます。
心はいつも豊かに旅ができる自由を失ってはなりません。
私たちは皆、充実した人生を生き、沢山の幸せな思い出に包まれて死んでいくことができるように、この世に生まれて来たのですから。
                                  (ゆう)

2008年6月20日(金)
無口になるということ

心の状態が芳しくなくなると、誰でも無口になります。
心が重い重い闇のような重圧感で押し潰されそうになっている時に、饒舌になれる訳がありません。
不安で堪らない、何をしても楽しくない時に、言葉はスラスラ出てくるものじゃない。
周りで明るく会話をしている人を見ると、羨ましかったり、煩わしかったり、疎ましかったり、複雑な心境になりますよね。

さて、ベラベラ喋ることについては面白い話があります。
人間、喋っている間、その人の脳味噌はものを考えてない、というのです。
ベラベラ喋るのはつまり、ものを考えてない人間のやることだ、ということですね。
「人間は、考えることが少なければ少ないほど、余計に喋る」と言ったのは、モンテスキューだったと記憶してますが、
どうやら深くものを考えたり、追求したりすると、人間というのは闇の中へ入っていく運命を背負っているのかもしれない。

でも、それだけでは余りにも辛い。
もともと人間はいい加減な時間も持ってないと、上手く生きていけないように出来ているものです。
心に羽が生えたように軽くなって、「ああ、今日も楽しく、馬鹿なおしゃべりしたなぁ」と思えるような時間も持てるようになりましょうね。
                                  (ゆう)

2008年6月19日(木)
若いときの苦労は・・・

「若いころの苦労は買ってでもしろ」と言います。
若いころに苦労してないと、その後のひだちがねぇ・・・、と言った有名な作家もいました。

「冗談ではない、私の苦労がどれだけ大変なものか判っているのか!」と若者は思います。
まったく、したり顔の大人はいい気なものです。

苦労は若者に限ったことではない、誰にとっても限度を超えるととんでもない結果を招くことになります。
この「限度」と言うのが実に難しい。

自ら命を絶ったりするような苦労は、とても「買ってでもする」ような代物ではない。
かと言って、充実しない時間ばかりを過ごして来た人は、実に間抜けな魅力のない顔になってしまいます。

自分のしている苦労や辛さが、自分を磨くような作用をしているものかどうか、
苦労の真っ只中にいる本人にはなかなか判るものではありません。

苦労に直面したときに、
「おっし!どーんと来い!」と少しでも思えるのなら、あなたはまだまだ大丈夫。
自分を輝かせる最高の薬だと思って困難に挑んでください。

自分の心に潰されそうな予感が走ったら、すぐ、誰かに話してみてください。
あなたの近くに、あなたの心を楽にしてくれる人が居てくれればいいのですが。
                            (ゆう)

2008年6月17日(火)

「人間関係で悩んでいる」という方に、たくさん会います。
「人間関係の悩み」には、実に色んな悩みがありますが、大抵の場合は、「相手が自分の思い通りに反応しない」というところから始まっているような気がします。
「思い通りに反応しない」と言うと、いかにも相手が自分の言うことを聞いてくれないとか、相手の物言いが自分の感情を逆なでするとか、そういう風に聞こえるかもしれませんが、もっと些細なことでも私達は大きなストレスを受けるものです。

こっちが笑顔で話しかけているのに、憮然とした態度で応えられる。
急いでいるのに、悠長な反応しかしてくれない。
礼を尽くしているのに、失礼な態度で接してくる。

その場に置かれた人間にとって大きなストレスになるのは、お分かりになると思います。
全て「自分の期待通りの反応が得られない」ことからくるストレスです。
相手に社会的常識がないとか、失礼な性格だとか、責めるのは簡単ですが、そのようなことをどれだけやっても、こちらが楽になる訳ではありません。
責めるのは、ストレスから逃れるいい方法ではないのです。

責めてる間だけではなく、責めようと思ったときから、あなたの心は、ストレスをずっと感じ続けていなければなりません。
「あの野郎、覚えてろ!」と思ってるいるときのあなたの心は楽でしょうか。
おまけに、相手からの反撃にあったりすると、更に大きなストレスを背負い込むことになってしまいます。

自分の心をリリースしてあげることに、神経を注いでください。
自分でいい方法が見つからない場合は、心を解き放つ方法を知ってる人に教えてもらえばいいのです。

私達は、ストレスを与える相手を責めることで、楽になることはありません。
いつまでやっても「気がすまない!」スパイラルに、自分を追い込んでしまうことにもなりかねません。
嫌な奴が夢にも出てくるなんて、貴重な夢見る時間まで侵略されてるみたいで最悪ですものね。
                                  (ゆう)

                   

2008年6月13日(金)

自分の顔を、肉体を、満足感をもって眺めたことがありますか。
自分の姿かたちにうっとりしていられるのは、少しそれは「おかしい」人です。

自分の声を録音して聴いたことがありますか。
いい声だ、素晴らしい発音だ、とうっとり出来る人は、それは相当「おかしくなっちゃた」人です。

自分の姿かたち・自分の声には、自分の嫌なところが「これでもか!」と詰まっています。
大抵は声や姿かたちに自己嫌悪を覚えるように、人間は出来ています。

しかし、この姿かたちと声と付き合いながら、私達は一生生きていくしかない。
整形で顔でもいじってみますか?
自分らしいところが少しでも残っていれば、人間はそこに自分を見出してしまいます。

発声練習で声を変えてもみますか?
どんなに練習に励んでも、あなたの声紋が変わるわけではない。
あなたの声はあなたの声のままです。

私達は、生まれ出た自分と真正面から付き合っていくしかない。
そこに逃れられない苦しみの原点がある。

どんなに立派な生涯を生き抜いた偉人でも
自分から逃れて自分を生きた人など一人も居ないのですから。
                                  (ゆう)

2008年6月12日(木)

秋葉原の惨劇現場
 現場に立てられた白いテントに積まれた花束、駄菓子、缶ジュースの山。
 急ぎの用があって横を通り過ぎようとしましたが、足が止まりました。
 アキバに集う決して潤沢ではない若者の財布から の供え物がやさしい気持ちの山を築いてあふれていました。

 手を合わせて黙礼。
 そうしないではいられない悲しみが、現場にはあります。

 犯行に至るまでの心の動きを、犯人は克明に記しています。

 誰かが、心のもつれた糸を解きほぐすことが出来なかったのか、と思います。
 悲しみも怒りも絶望感も、他人に伝わることのない苦しさ。
 誰に自分の切迫感を理解できるものか!の悲鳴が聞こえる気がします。

 切羽詰まっていく心を、救うべき「場」が、「システム」 が必要です。

 「このままではいつか爆発する予感」を犯人がきちんと持っていたのが何とも辛い。
 心の動きをコントロールする力を失っている自分をちゃんと認識して苦しんでいる時点で
救ってあげるべきだった。

 壊れた心をもてあましている人々がどんなに多いことか。
 原因を探っても慰められても励まされても、決して逃れることの出来ない影に追い込まれていく壊れた心。


 人間の心は簡単に壊れます。
 壊れる予兆は必ずあります。
 本人では修復できないから、人間の心の破壊は難 しい。
 一番苦しいのは本人なのに悲鳴の上げ方がわからない。
 もし、悲鳴を上げることが出来ても周りは救う方法がわからない。


 心が壊れる前に、頑張りすぎた心を休めてあげる環境はなかったのかと思います。
 今は亡くなられた方々のご冥福をお祈りするしかありません。
                                  (ゆう)